いつか死ぬ日
首藤さんや芦田さんも逝ってしまわれたが、知っているのは有名な人達だけで実際には多くのミンキーモモ関係者が亡くなっている事だろう。わたなべひろし氏の奥方もそうだ。
人間というか生物はいつか死ぬのである。物語もいつか終わるのである。終わった物語を追い続けるのは死んだ人の思い出を追いかけ続けるのに似ている。そこに未来はない。しかし追いかけ続ける限り心の中に生き続けるのだろう。
追いかけ続けるのを疲れた人達は新作を求める。死んだ人ではなく似た人を愛したくなるという事。人間は弱い動物で、永遠の愛を持つ事は出来ないのである。そもそも生物は繁殖のために存在してるのだから、いつまでも同じ愛に執着している事はできない。ずっと同じ愛に執着できる人達はある意味で死人と同じ。
毎週ミンキーモモを待つワクワク感は永遠に失われた。あんなにワクワクする気持ちを感じた事はなかった。デートやら旅行でドキドキするのとは違う「見た事のないモモちゃんの新しい冒険」はスケールの大きい破天荒な夢そのものだった。彼女は魔法少女というより冒険家に近い存在じゃないか。
……今回もイラスト掲載のため駄文を捻りだしたお。
あそこまで気軽にあちこち行けるのは体のない幽霊ぐらいかもしれない。もしかしたら死ぬという事は夢が叶う事なんじゃないだろうか。この肉体という縛りから解放されたら生物は自由になれるといいなと思う。
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コメント
セニトさん引き続き。
私なんぞは、「一人の人しか愛せない」という考え方を支持する(もちろん、そうでない人がいてもいいが、少なくとも自分は一人の人しか愛せない)ほうなので、その相手が死んでしまえば、もうだれかを愛するということは無いだろうなと思います。
私が独身主義なのも、その辺に立脚しているかも知れませんし、10年ほど前に、元カノが亡くなっていたことがわかったときの衝撃たるや…。
それほど長いつきあいだったわけではないし、別の男性と結婚して、かつて言っていたように子どもはつくらず、やがて余命宣告され死去。その後彼女を「踏み台にして」教授にのし上がった当時の夫は、すぐに再婚して子どもも作ったと。彼女の役目は、ただ教授様になった夫の親の介護と、それが終わったら自身が消え去ることだったとしか思えないので、非常に複雑な思いですね。
この彼女の夫という人は、確かにセニトさんが言うように、
> 生物は繁殖のために存在してるのだから、いつまでも同じ愛に執着している事はできない
…という考え方だったんでしょう。だからもしかしたら、「子どもは作りたくないの」という彼女の思いは、受け入れがたかったかもしれないし、どういう思いで結婚したのかも疑問ですね。
しかし、私はとてもそうは思えない。「あそ。死んだ?。じゃあ、いままで我慢してたけど、他の人に乗り換えだ」って気持ちには、とうていなれませんね。
別に私は彼女が結婚するまでつきあっていたわけでもなんでもないし、学校時代にクラスメイトであって、少しその先の関係性だっただけですが、アニメのキャラだの、アニメの制作者達だのとの関係性では、全く計れない精神の中での「無形の結びつき」みたいなものは、それなりに固かったんだろうなとは思うわけです。もう、それもかなわない思いなのですけれどね。
投稿: すぎたま | 2022年11月 2日 (水) 02時46分
辛い思い出があるんですね。心痛お察しします。
ブログに書いたとおり、追いかけ続ける限り心の中で生き続けるのではないでしょうか。
投稿: セニト(偽名) | 2022年11月 2日 (水) 08時52分