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2021年5月19日 (水)

地球への愛が足りない!? #ミンキーモモ

「ミンキーモモ」は戦争行為、自然破壊について批判的であり、ギャグを交えながらの演出を含めて手塚アニメに近い面を持っている。ただし、その結末はかなり差がある。手塚アニメの場合は主人公かヒロインの地球に対する強い愛で奇跡を起こすパターンが多いのに対して「ミンキーモモ」では諦める結末だ。

具体的なエピソードを見ていこう。「燃えよ!スクラップ!?」で意識を持ったゴミが自分達の居場所を探すものの見つからずに焼身自殺するのだ。「ニンジンを我らに!」では兎が自ら耕作し、後に森で畑を作るものの最初の畑は追い出される。OVA「旅立ちの駅」では矢張り意識を持ったゴミと置き去りにされた子供の魂が駅のライオン像の魔法で昇天する。既に死んでいるが、これも見方によれば自殺である。

手塚治虫も首藤剛志も本質的にペシミストであり、現状を憂えているのは同じなのだが、考え方には開きがある。手塚治虫の場合は戦争経験者だからなのだろうか、悲惨さから目を逸らさず希望を見出す――一方で首藤剛志の場合は学生運動世代で熱意はあるのだが、空回りして諦める雰囲気だ。湯山邦彦達の演出によって明るい雰囲気で終わらせるのだが、何の解決にもなってない。

首藤剛志は批判的なテーマを面白い脚本に仕上げる事ができる天才だったが、「地球」への愛が足りないように感じた。犠牲を払ってでも何とか地球を、自然を救おうという気概はなかった。彼の中に所詮は魔法なんて無力だと思ってる節がある。手塚治虫なら主人公・ヒロインは死力を尽くしてでも魔法で救おうとするだろう。だが、首藤剛志のキャラクターは諦めてしまう。「旅立ちの駅」に至っては他者(ライオン像)に押し付ける。

少々疑問に残るとはいえ重いテーマを扱う姿勢は立派だった。今ではアニメでこんなテーマは真面目に扱わない。「ヒーリングッど!プリキュア」で軽く「地球をお手当する」ぐらいか。ネットで騒ぐのではなく、エンターテインメントを絡めて問題提起するという手法は今では時代遅れなのかもしれない。

 

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