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2021年5月

2021年5月24日 (月)

レダはモモのOVAと似てる!? #幻夢戦記レダ #ミンキーモモ

アマゾンプライムで公開中の「幻夢戦記レダ」(1985)、湯山邦彦監督作品だ。当時も見たのだが、陽子のパンチラしか記憶に残ってなかった(笑)ので改めて視聴した。

作曲が趣味の女子高生・朝霧陽子(鶴ひろみ)は好きな男の子に告白するため作曲したテープを聴きながら彼とすれ違った。告白できずにいると異世界アシャンティへ引きずり込まれる。彼女の作った曲が2つの世界を繋ぐ「レダのハート」だったのだ。陽子はレダの戦士となって自分の世界侵略を目論むゼル(池田秀一)と対決する。

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「ミンキーモモ」OVA「夢の中の輪舞」そっくりで驚いた。監督が同じだけでなく、制作時期が殆ど同じだという事や作画スタッフが似た傾向という事もあって雰囲気が驚くほど似ていた。脚本担当は首藤剛志氏の弟子である武上純希氏(山崎昌三=谷本敬次)と湯山監督なのでセリフも「モモ」と重なる。演出も「輪舞」を彷彿させる手法が多い。

これほどまでに似てるとは思いもしなかった。導入部分からアクションシーンやエンディングに至るまで差し替えても気が付かないのではないか。って言い過ぎですか?

企画自体はカナメプロのオリジナルなので物語自体に全く「輪舞」と関連性はないにしても、幻想的な要素は「ミンキーモモ」に共通する。そもそも美少女+変身ファンタジーなる部分が既に重複しているのではないか。

ちなみに大ヒットしてオタク世界にビキニアーマーを定着させたようだ。それで続編も企画されていたにも拘わらず頓挫。この時代のOVA企画はまだ不安定だったのかもしれない。

80年代後半~90年代は手描きアニメの絶頂期で「レダ」の作画も今では考えられないぐらいのハイクオリティ。CGに頼り切った現代アニメでは再現できないだろう。この時代が日本アニメの礎になっている事は間違いない。

いつも首藤氏中心に「ミンキーモモ」を語っているが、湯山邦彦監督もまた「ミンキーモモ」の生み親である。その独特な映像を作り出した事を実感できるのが「レダ」だと思った次第だ。

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~女性崇拝とコンプレックスの裏側~

「ミンキーモモ」原作者・首藤さんは少し行きすぎた女性崇拝とコンプレックスを抱いていたように感じる。

「ゴーショーグン」のレミー島田=空モモ=小山茉美。

海モモ=林原めぐみ。

演者に寄せていくスタイルなのはいいけれど、そうすると首藤さんが持っていたキャラに対するイメージとは何なのかって話になる。確かに中の人に合わせて「小山さんでしょ」(ドラマLP)とか言わせるのはメタくて面白いかもしれないのだが。

「海モモを空モモと違う人格にしてくれた林原さんに感謝」みたいな事を言ってたけど、はしゃぎすぎ。演技の内容やキャラのイメージよりも、空モモと違うキャラになった事で大成功だと思っている。そういう基準で見ていたようだ。

これは空モモにも同じ事が言えて、どんどんレミーやモモを小山茉美のイメージで作り始めていた。はしゃぎすぎ。もっと作者がコントロールする部分があってもよかったはずだ。そういう部分が欠如していたので「夢の中の輪舞」ではモモのイメージを思い出せなくなっていた。モモのイメージをコントロールできてないから、「夢の中の輪舞」でのモモの人格はテレビ版とは別人になっている。同様に「旅立ちの駅」でも別人になっている。

根本原因としては首藤さんの少し行きすぎた女性崇拝とコンプレックスで、女性が演じてくれれば無条件に満点をつけてしまう甘さがあったからだと思われる。宮崎駿監督にも似たような傾向が見られる。自分がキャラにしっかりしたイメージを持っている庵野秀明監督とは違う。

そういう甘さがあるから「旅立ちの駅」で林原さんに海モモの両親が死んでいる事を伝えずに演じさせたわけだ。小山さん・林原さんが演じてくれさえすれば何でもいいのだ。女性を否定するなんてありえない。LDボックスのライナーノーツでも首藤さんは男性の脚本家は貶しているが、女性の脚本家はべた褒め。中でも面出さんが可愛がられたのは誰でも知ってる事だ。女の子が主役だから女の子達に書かせる。男の子達は生身の女の子が分かってないからダメ!と厳しく非難していたものだ。

女性崇拝とコンプレックス……裏には女性に対する負い目、憎悪が根底にありそうだ。だからレミー島田や空モモは交通事故に遭い、海モモは一人で地上へ放り出される。絶対に成功しないのだ。女性に対する2つの相反する複雑な感情が彼女達の運命を左右したのだ。そう考えると、妙に納得できる……個人的に(笑)

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2021年5月19日 (水)

地球への愛が足りない!? #ミンキーモモ

「ミンキーモモ」は戦争行為、自然破壊について批判的であり、ギャグを交えながらの演出を含めて手塚アニメに近い面を持っている。ただし、その結末はかなり差がある。手塚アニメの場合は主人公かヒロインの地球に対する強い愛で奇跡を起こすパターンが多いのに対して「ミンキーモモ」では諦める結末だ。

具体的なエピソードを見ていこう。「燃えよ!スクラップ!?」で意識を持ったゴミが自分達の居場所を探すものの見つからずに焼身自殺するのだ。「ニンジンを我らに!」では兎が自ら耕作し、後に森で畑を作るものの最初の畑は追い出される。OVA「旅立ちの駅」では矢張り意識を持ったゴミと置き去りにされた子供の魂が駅のライオン像の魔法で昇天する。既に死んでいるが、これも見方によれば自殺である。

手塚治虫も首藤剛志も本質的にペシミストであり、現状を憂えているのは同じなのだが、考え方には開きがある。手塚治虫の場合は戦争経験者だからなのだろうか、悲惨さから目を逸らさず希望を見出す――一方で首藤剛志の場合は学生運動世代で熱意はあるのだが、空回りして諦める雰囲気だ。湯山邦彦達の演出によって明るい雰囲気で終わらせるのだが、何の解決にもなってない。

首藤剛志は批判的なテーマを面白い脚本に仕上げる事ができる天才だったが、「地球」への愛が足りないように感じた。犠牲を払ってでも何とか地球を、自然を救おうという気概はなかった。彼の中に所詮は魔法なんて無力だと思ってる節がある。手塚治虫なら主人公・ヒロインは死力を尽くしてでも魔法で救おうとするだろう。だが、首藤剛志のキャラクターは諦めてしまう。「旅立ちの駅」に至っては他者(ライオン像)に押し付ける。

少々疑問に残るとはいえ重いテーマを扱う姿勢は立派だった。今ではアニメでこんなテーマは真面目に扱わない。「ヒーリングッど!プリキュア」で軽く「地球をお手当する」ぐらいか。ネットで騒ぐのではなく、エンターテインメントを絡めて問題提起するという手法は今では時代遅れなのかもしれない。

 

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2021年5月17日 (月)

空モモさんの衣装 #ミンキーモモ

もう少しバラエティーあったらなぁ。毎回プロフェッショナル変身するから予算に余裕なかったんやろか。12歳モモの衣装をカウント!

  1. 通常衣装
  2. ジョギングスタイル
  3. パーティドレス
  4. ビキニ水着
  5. ワンピース水着
  6. ガンマンモモ(妄想)
  7. サンタクロースモモ(妄想)
  8. ダッフルコート
  9. レインコート
  10. 寝巻3種類(♥付き、イエロー、渡辺浩の嫁用)
  11. エプロン姿
  12. 通常衣装(ダイヤモンド編)
  13. 看護婦2種類(OVA輪舞)

前にも愚痴ったけど衣装が少なすぎ。パパやママでさえお出かけ衣装があったのにモモは皆無。お出かけ衣装ぐらいは欲しかった。厳密にはOVA「瞳の星座」で曲間の画像にはマーチングバンド・ネグリジェもあったけどカウントしなかった。これ入れると雑誌表紙・ポスターも入れなきゃいけなくなる。あと下着姿(笑)もノーカウント。

アニメキャラとはいえ主人公なんだし女の子なんだし(今ならセクハラなのかよ)もう少し気を遣ってほしかった。ライバルアニメ「クリィミーマミ」で森沢優氏がおしゃれな衣装に着替える度に悔しい思いをしたものだ。

ちなみに海モモはジョギングスタイル(男装)・お姫様(ED)・テレビ局でのコスプレ・水着・レオタード・燕尾服・最終話でのお出かけ衣装(写真)と割と多め。

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2021年5月16日 (日)

ポシェットいらなかった #ミンキーモモ

ビデオテープ(笑)で「夢の中の輪舞」を見てたら外へ出る時にポシェットを肩にかけるシーンがあった。湯山監督の絵コンテにはないから作画か演出の方で考えたシーンだと思われる。

実は「夢のフェナリナーサ」でも室内ではポシェットしていなかった。さすがスタジオライブは芸が細かい!芦田さんや渡辺さんのイラストでもポシェットなしは結構ある。

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だからイラスト描く時はポシェットなしでもオッケーよ♪ って何で私が許可してるみたいな顔するのだ。すみませんでした。そうじゃなくて、ポシェットなしをオッケーとすると以前に出したネットのミンキーモモイラスト間違い率が変わって来るじゃないか。

 

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2021年5月15日 (土)

ロリコン意識しすぎ。

伝説のロリコンアニメ。

首藤さんはロリコンロリコン意識しすぎなんだよ(秋田書店「夢の中のロンド」本のライナーノーツで連呼)。渡辺ひろしさんも本当はロリコン意識しすぎて絵の仕事やめたんじゃないの??

女の子が主役の作品は全部ロリコン向けか!?

女子大生が主役でもロリコン向けとかいう人もいるのよ。

考えたって仕方ないっしょ。見る側の事なんか考えていられない。

ロリコン向けでもいいじゃない。

ロリコンは感動しちゃいけないの?ロリコンは美少女にしか興味ないと思い込んでいそう。いや普通に話もちゃんと楽しんでるでしょ。

ロリコン差別しすぎ。可愛い女の子を好きなのが罪なら全ての人間は罪人。ミンキーモモを美少女に設定した段階で作り手も同罪だよ。一部の人間だけ排除しようという狭量な考えは感心しないね。

そもそもロリコンアニメでロリコン批判しようって矛盾してないか。結局のところ「夢と希望」がテーマって詭弁だったのかもしれない。

とイラストと全く関係ない事を書き綴るのだった。

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2021年5月11日 (火)

何話から新体操変身するように? #ミンキーモモ

いつもボーっと見ていて、モモがいつから新体操変身するようになったのか明確に把握してなかったので確認してみた。

・初期の変身シーンはステッキから出た光がモモを包み込む

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・新体操変身はステッキから出たリボンで演技しながら体を囲う

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10話「ハイウエイ大追跡」までが初期の変身シーン

11話「恋の美容師よ子猫ちゃん」以降が新体操変身シーン

若い女性(戦闘系・魔法系ともに)が変身の際に踊るようになった画期的な演出だ。「ミンキーモモ」の強い影響で制作された「クリィミーマミ」などのシリーズでも真似され、現在のプリキュア等に至るまで続く事になった。そもそも新体操ブームの火付け役、山崎浩子氏が全日本選手権優勝で注目を浴びた事が変身シーンに新体操演技を取り入れた要因だったそうだ。

ついでに呪文のセリフも調べてみた。

1話~4話……呪文のみ

5話……はじめて呪文後に「スチュワーデスになれ~」と唱える

6話……「アダルトタッチ」がはじめて出てくる。「テニスプレーヤー」と唱える。何故か「になれ~」がなかった

7話「ナイチンゲールはお好き」以降……「アダルトタッチで○○になれ~」という完成形のセリフになった

 

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2021年5月 9日 (日)

交通ルールを守れ!!

なかなか語りづらい「夢のフェナリナーサ」におけるモモの交通事故を検証してみた☆

野球のボールがフェンスを越えて道路へ。モモに拾ってくれと頼む少年。快諾するモモは道路の真ん中でボールを拾う。男の子が道の真ん中で遊んでいてモモは呑気に会話する。そこへ暴走したトラックが走ってきて男の子を避ける。すると、その先にはモモが――。

アニメ誌でもコメントされていたが、これは「モモが悪い」。そう、車道の真ん中で突っ立っていたのだ。ドイツとかだと車道は車のモノで歩行者に道を譲る事は殆どないらしい。どこかの国での交通法規がどうなってるのか不明だが、運転手だけが責められる問題ではなかったと思われる。

最悪なのは人間に生まれ変わった?モモが学習せず、相変わらず車道に飛び出していく愚行を繰り返す阿呆だという事だ。「夢のフェナリナーサ」も自分の不注意で死んだ阿呆の夢と考えると急に冷める(笑)。

「夢のフェナリナーサ」の転生を自殺幇助と受け取られないか心配した首藤さんだったが、それより交通ルールを守らない阿呆を何とかしろ。何度も車道に飛び出すな!!!何が「こーゆーの慣れてる」だよ。そういう問題じゃないだろ。親も注意しろ……長女はそれで死んでるだろ。交通ルールを守れ!!

追記……んーせめて、道路で遊んでた子供を助けようとして死ぬようなシチュエーションにしてほしかった。ボーっと道路で突っ立ってて轢かれて死んだら、うちの娘が馬鹿みたいじゃないですか!!

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2021年5月 7日 (金)

音楽アニメの先駆者として #ミンキーモモ

首藤剛志先生がミュージカル大好きマンだったのと湯山邦彦監督がシンガーソングライター志望だった事から「ミンキーモモ」は音楽的要素が強いアニメであった。この頃はアニメで音楽を表現するには枚数などの制限もあり非常にまだ厳しい時代だった。それでも歌をうまく使った演出が多い。「森の音楽祭」「いつか王子様が」「夢の中の輪舞」など。何しろオープニングとエンディングもミンキーモモを演じた小山茉美が歌っているのだ。これは意外に見落とされがちだが、この時代にしてはまだ珍しい事なのだ(他には「ドン・ドラキュラ」ぐらい)。

「ミンキーモモ」に影響されて作られたのが「クリィミーマミ」だという事に異論をはさむ人達はいないだろう。「ミンキーモモ」の変身にもあったアイドル歌手に特化したアニメ、そして続くのは説明不要の「超時空要塞マクロス」だ。「ミンキーモモ」の少し後から放送開始されている。影響があったのかは断言できない時期だが、歌うアニメアイドルに勢いが付き始めたのは間違いない。「アラレちゃん音頭」のような単なるキャラクターソングの領域を超え始めたのだ。

「ミンキーモモ」をトップバッターとして次々に音楽要素を取り入れたアニメは作られるようになり、今ではアイドルアニメを中心にして非常に多く制作されている。もっとも、これはレコード会社がアニメだけでなく曲も売りたいという思惑があるからだ。実際のところ「クリィミーマミ」ぴえろ魔女っ娘シリーズ、「マクロス」も同じだろう。ただし「ミンキーモモ」は時代を先取りしすぎて、そこまでレコード会社自体がまだ気が付いてなかったと思われる。この場合は制作者(首藤氏、湯山氏)が独断で音楽要素を取り入れていたのであり、レコード会社の思惑は絡んでないのだろう。悪く言うと結局のところ、ぴえろ魔女っ娘シリーズに美味しい所だけ持っていかれたような形になったのではないか。

後にミュージックビデオ「瞳の星座」が発売されたのも、音楽重視の観点から考えると納得がいく(これはスポンサーの依頼を受けてだが)。

変身魔法少女アニメの先駆者としてだけではなく、音楽アニメの先駆者としての顔を持つアニメ……それが「ミンキーモモ」。というのは大袈裟だろうか。

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2021年5月 3日 (月)

読んでくれて有難うございます

こんなサイトの辺境までお越し頂いた上に個人的な駄文を読んでもらって本当に申し訳ございません。

時々カッとなって過激な事を書いたりもしてますが、投稿寸前で思いとどまり下書きで済んでいる筈です。

アニメ「ミンキーモモ」は非常に複雑なアニメでして、単なる女児向けアニメでもロリコン向けアニメでもないのです。クリィミーマミと大差ないように思われがちですが、「自立して男社会で頑張って働く女性」「夢と希望」がテーマの社会派アニメとしての面もありました。他の魔法少女と違い魔法にも制限があったり、夢の国の事情も出てきます。

ですが、こういう面は殆ど知られず、殆どの人達の認識はロリコン向け魔法少女アニメでしょう。実際に作品を見てもモモちゃんのコケティッシュな可愛さばかりにしか興味がいかない人達も多いわけです。

「ミンキーモモ」は首藤剛志先生の強い信念が物語の根幹です。アニメという大勢の人達の手を借りなければいけない性質上、残念な事も多々ありましたが、概ね世界観は守られました。作品の全てを賞賛するつもりは毛頭ありません。納得できなくても直情的な物語作りに心を揺さぶられました。それを湯山監督がうまく演出してくれたために心地よい感動になっています。

「ミンキーモモ」は多くの人達に知られて名前も姿も浸透しています。ただTwitterなどを拝見する限り、殆どの方はミンキーモモを正しく理解していないようです。それも、この作品が他のアニメと違って作り方が複雑だからでしょう。また、私も出来る限り正しい姿をお伝えするように努力し、思い違い・勘違いを減らすようにしたいと思います。

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