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2021年4月

2021年4月30日 (金)

12歳モモの頭が大きすぎるので調整してみた #ミンキーモモ

前にも12歳モモの頭が大きすぎると書いたが、今回は設定資料を調整してみた。設定資料では18歳になると頭が小さくなっているが、普通ありえない。だから12歳モモの頭の大きさ(頭囲)を18歳モモに合わせて全体的に縮小してみた。すると自然な雰囲気になった(真ん中のモモ)。ただし身長は更に小さくなってしまった……。6歳児ぐらいにしか見えない。

Photo_20210430204001

さて、一般的に女子は12歳ぐらいで成長が止まってくるそうだ。つまり12歳の段階で18歳と同じぐらいの身長になってないと変である。という事で、頭の大きさはそのままに体を伸ばしてみた(右のモモ)。意外にも思ったほど違和感なかった。

――と遊んでみました。っても右の長身モモちゃんじゃ人気出なかっただろうな……。

芦田豊雄先生もキャラの頭が大きい事は自覚していたが、きっとロリコン趣味があったから幼くしたのだろう。ドクタースランプ・アラレちゃんの影響もあると思われる。あれでアラレちゃんも13歳だからな。でも外見は完全に幼児じゃねーか(笑)

鉄腕アトムでも描いていくうちに等身が上がっていくが、そうすると人気が落ちるから、またチンチクリンに戻すと手塚先生が書いていたよ。チンチクリンの方がロリショタ度数が増して可愛いんだよ~ぉ♥以上です。

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ロリコンなど存在しない

「ミンキーモモは普通の女の子、ロリコンキャラじゃないのにね」とスタッフは語っていた。

逆に問いたい。「ロリコンキャラ」とは何だ。ロリコンキャラは普通の女の子ではないのか。また普通の女の子に魅力はないのか。持論だが、ロリコンは存在しないと思っている。子供の可愛さがジェンダーの芽生えによって女の子の可愛さに変わった時、それは女になる。そして、どこからが大人の女性になるのか。その境目は曖昧。幼い美少女がロリコンキャラならミンキーモモは立派なロリコンキャラだろう。

ミンキーモモの原作者・首藤剛志先生は高校時代のガールフレンドを元にしてミンキーモモを描いた。ミンキーモモの一番人気・作画監督の渡辺浩氏は自分の妻の寝巻をミンキーモモに着せた。

彼らは好きな女性(性的な意味も含めて)としてミンキーモモを描いたのだ。だからミンキーモモは単なるロリコンキャラではない。彼らの理想の美少女・ミンキーモモは「リアルな恋人・妻」だった。「未来少年コナン」のラナも宮崎駿監督の愛する妻が元になっている。そのためブサイクに(笑)描く大塚さんに描かせなかったのは有名な話だ。

ミンキーモモは子供としてではなく、可愛い恋人・若妻としての魅力を盛り込まれていたのだ。キャラクターデザインの芦田豊雄先生も2人の女性によって作られた「可愛い子供」を「男の理想である」美少女へと作り替えたのだった。じゃあ首藤剛志先生や芦田豊雄先生、渡辺浩氏はロリコンか?違うだろう。対象が何であれ、女の存在を見つけた時に男は魅力を感じてしまうのだ。相手の年齢によって左右されるものではない。

だから本当はロリコンは存在しないのだ。

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2021年4月25日 (日)

危険すぎる続編

人気ゲーム「サクラ大戦」の制作スタッフなしに制作された続編「新サクラ大戦」のゲームとアニメ、100年後の世界を描いたスマホゲーム「サクラ革命」の評判が最悪だ。「新サクラ大戦」では勝手に「サクラ大戦」のキャラを弄りファンの怒りを買い、「サクラ革命」は中途半端にリリースしてキャラがブスと言われて半年でサービス終了。

さて、これが「ミンキーモモ」だったら。既に葦プロ(リード)はミュージカルやコミックで勝手に「ミンキーモモ」作品を出している。ただ、今のところ過去の空モモ・海モモを弄らずタイトルだけを使うに留まっている。しかし、もし過去の作品を弄り回すようなアニメを出したら……と思うと寒気がする。

昔を懐かしむだけの浅いファンは喜ぶだろうし、ネットでは新しい「ミンキーモモ」アニメ化を望む声もそれなりにあるようだ。もし湯山邦彦氏や渡辺浩氏が監督になって新作を作ったとしても原作者の首藤剛志氏がいなければシリーズとは言えない。どんなに出来が良くても二次創作だ。出来が悪くなる可能性もある。「バトルアスリーテス大運動会」も100年後の世界として続編が始まったが、作画も脚本も演出もボロボロ。見るに堪えないのだが、こんなのでも喜ぶ人達がいて驚く。

「スーパーロボット大戦X-Ω」のユニットストーリーで判明したが、もう葦プロには「ミンキーモモ」を知っている社員はいない。それでもスポンサーがつけば新作の可能性は跳ね上がる。適当なスタッフを拾ってきて1クールぐらいは作れるだろう。今はオリジナルアニメを作るのが難しい時代だから失敗の確率が非常に高い。失敗すれば、サクラ大戦シリーズのように取り返しのつかない結果になるかもしれない

一番安全なのは続編も新作を作らない事だ。

 

こういうのは定期的に書いとかないとな。

ってモモロスに耐える(笑)結局のところストーリーのないキャラ使いが落としどころなのかもしれん。つーとゲームコラボなのか。

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2021年4月21日 (水)

芦田豊雄についての愚痴

今日は芦田先生の誕生日なのだが、ミンキーモモのオリジナルキャラクターデザイナーとして重要な人物だとは認識している。

ミンキーモモの途中から線が固くなってきて、終了後ぐらいからいわゆる芦田キャラが確立してきた。それからはワタル、グランゾートなどキャラが安定している。ミンキーモモは氏にとってターニングポイントとなる作品である。

結局のところミンキーモモで作画監督は一度もやらなかったが、モモのイラスト等はよく描いていた。

いつもアニメファンを馬鹿にしていたので、イメージは凄く悪い。アニメファンは暗いだの言ってたけど、芦田先生へのインタビュー回答も随分と暗かった。海モモでの富永真理起用は失敗だったと思う。いつも人材育成や社長業で苦労していてクリエイターとしての才能を全て発揮できずに終わったのではないか。

それだけアニメーターという仕事を守るために尽力されたのだと思う。今でも海モモのキャラクターデザインは芦田先生にやってほしかったと思っている。本人はいつか儂モモでやりたいと言ってたけど、ミンキーモモ3があったとしても結局やらなかったと思うよ。

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モモ三部作なら

みんな「シン・エヴァンゲリオン劇場版」見たか。テレビの時にはあの結末なんて一ミリも考えてなかっただろう。それでもテレビを含めて完結なのよ。

ミンキーモモだって最初は三部作とか一ミリも考えてなかったはず。なんか思いつきで三部作にしたのはいいけどミュージカルとダンクーガを優先されて結局のところ実現しなかったわけだ。

エヴァと違って家族や友人との関係は希薄だから、いくら首藤さんに家庭が出来たからといってもミンキーモモに家庭の話を突っ込む事は難しいだろう。やはりテーマは「夢と希望」って事。とはいっても庵野(総)監督でさえ、あんな結末にしたぐらいだから首藤さんも丸くなって優しい結末にするかもしれなかった。ミンキーモモ3企画段階では無理そうだったが、今まだ生きていたなら。

またミンキーモモそっくりな魔法少女がミンキーモモって名乗る展開しかない。ここまでくると綾波レイだよクローン人間じゃないか。テーマは正確には「夢と希望はない」。首藤さんが病的な人間不信なので、「夢と希望が溢れる世の中になりました」って結末にはならないだろう。

最終的には「夢と希望は要らない」って話になりそう。夢の国からすれば魔法を使うためのエネルギーなだけで、魔法を使わないなら不要なものだ。ただし「夢と希望のある世界へ逃げる」というエピソードは既にやってしまっている。また夢の国が長い眠りに入るというのも逃避だろう。

落としどころとしては「皆が夢と希望を持つなんて無理な話だよ」ってところじゃないかな。いわゆる諦念だ。そもそも「夢と希望」の考え方自体が押しつけがましいものだった。多様性の時代になってきたし、そういうのを含めて「それぞれ好きなように夢と希望を持って生きればいい」そんなエピローグでいいような気がする。

大人に変身しなくてもいいし、プロフェッショナルになる必要もない。だから魔法も要らないので夢のエネルギーも要らない。ただし夢の国は地上へ戻れない。いや、戻る必要ない。科学の発達した人間にはもう夢の国は必要ないものになったんだ。

それぞれ違う道を歩んでいく。夢の国は必要とされている「夢と希望がある世界」へ向かって遠ざかっていくのだ。そこで大事なのは3人目のモモは地上に残らず、夢の国に戻って王様・王妃様とともに去っていく必要がある。逃げるんじゃなくて前向きに別れを告げるのだ。

空モモと海モモを出すと話がややこしくなる。この2人を救済しようとすると矛盾が生じるのでやめた方がいい。問題は具体的にどうやって物語を作っていくか、だ。3人目のモモがどんな感じで諦念の気持ちを持つに至るのか視聴者を説得させられるかが難しいポイント。それには矢張り何か強烈なインパクトがないと上手く進まない。

と。

いう妄想でした。

さて昼飯でも食べるかに。

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2021年4月 8日 (木)

物語の作り方

どんな物語も1話完結コメディ・ギャグじゃなければ何かしら主人公を困難に追い込む事が物語作りのセオリーだ。直近の見たアニメだと「エヴァンゲリオン」とかだな。アレも相当主人公を追い込んでいた。

「ドラゴンボール」系も同じで最初に簡単な困難を乗り越えさせて、どんどんハードルを高くしていく。

「ミンキーモモ」でもまずは地上で暮らすための両親を探したり、魔法でプロに変身したりする程度。で、その次に魔法ではどうにもならないような困難も出てきたりする(よみがえった伝説、大きすぎた訪問者など)。そして、最後は解決できないような困難=死へと続く。

普通だと最後は大きな困難を乗り越えて大団円だが、「ミンキーモモ」では乗り越えたとは言い切れない結末になっている。まぁよくて「未来には希望もあるかも」という程度だ。フェナリナーサが降りてくるような大成功エンディングだけは考えられてなかったようだ。まぁ「マッチ売りの少女」みたいに悲しい物語という作り方もあるから、どちらかというとソレに近いのだろう。

そうなってくると「ミンキーモモ」における中盤まで展開されるコメディタッチの物語は完全に茶番であり、追い込むための前置きにすぎない。たっぷり太らせてから食べられる家畜のようなものだ。幸せハッピーライフが輝けば輝くほど後からやってくる絶望感のインパクトが大きいわけだ。女児に玩具を売りつけるために明るい魔法少女アニメを装ってるのは酷い話だ(笑)

物語としての「ミンキーモモ」の作り方は凄い。「エヴァンゲリオン」でさえ救いはあったし、誰かが手を差し伸べてくれたのに、モモには誰もいないのだ。だから自己解決するしかなかった。あんな風に急転直下の不幸の後に悟ってしまう物語はそうそうない。

まぁつまりは物語作りのセオリーに準じつつも、それに捉われず応用しているんだね。そして演出的にまるでハッピーエンドのように締めくくってしまうのが首藤・湯山コンビの尋常ではない才能の技だった。多分この後も「ミンキーモモ」みたいな作品はそうそう出てこないだろう。だからこそ自分はこの作品に固執するのだ。

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