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2018年3月20日 (火)

激辛スーパーミンキーブック

☆はじめに☆
  この本は1982年にTV東京で約1年間に渡って放送されたアニメーション『魔法のプリンセス    ミンキーモモ』に関する一個人の研究書である。まあ研究というと偉そうに聞こえてしまうが、単に『ミンキーモモ』という番組を見て感じてきたことをただ並べているだけだから軽く考えておいてほしい。既に第1回の放送から10年以上の年月が流れてしまっているので「何を今更」と思われるかもしれない。しかし10年という時間があったからこそある程度の自信が私の中で生れたのだ。そしてこの本を出すことに決めたのである。
  『ミンキーモモ』という作品は良くも悪くもアニメ界では特殊な位置にある。ある時は「夢と希望」について高尚な哲学があったとか、はちゃめちゃなバラエティ番組だったとか、美少女アニメの元祖だとか・・・・いろいろ言われてきた。だからもうちょっと考えてやってもいいんじゃないかと思った。それだけの価値が『ミンキーモモ』の中にはある。
  それにもかかわらず、その価値はごく一部の評論家ぐらいにしか評価されなかった。一般の人やアニメファンの中でさえも『ミンキーモモ』はあまり評判がいい方ではなかった。美少女アニメとしての評判が高かったし、実際それを否定できない面が多くありすぎたのである。だからみんなそれだけのアニメだとはじめから決めつけてしまっていた。でも、決してそれだけではなかった筈だ。
  一人の少女ミンキーモモの精神的成長そして「夢と希望とは?」についての真の答えにたどり着く・・・・それをこの作品は描いているのだ。
  この本は『ミンキーモモ』に対する私の想いの集大成だ。この本を読んで何かを感じてくれれば嬉しく思う。
  最後に本の出版経験のない私に本を出すことを勧め、手伝ってくれた姉に感謝したい。
                                1992年12月
2018年3月 追記
この「激辛スーパーモモブック」は1992年に出した拙著(自費出版)。余り読み直しもせずにキャノワードというワープロ専用機のデータを変換して貼り付けただけなので変なところも多々あるかもしれないが、ご容赦願いたい。そのままと言いつつ明らかな誤りは訂正させてもらったり、辞典は追加させてもらった。

ざっと改めて眺めると海モモ批判がもの凄い。そもそも、それが目的だった部分が無きにしも非ず。だから読む方は気をつけていただきたい。当時もらった感想では好意的だったが、中には非常に不快に感じていた人達もいるようで今でも恨まれている。36年も経ったので私もだいぶ落ち着いたけど、海モモのパワーが空モモに比べて極端に落ちているのは客観的に見ても否めない。36年前の私が書いたとおり「空モモ(の世界)を大切にしてない」からだろう。しかし私が危惧していた「これから先は海モモがミンキーモモになる」という事はなく、海モモの存在は忘れ去られている。

私は脚本からミンキーモモに入ったが、「機械仕掛けのフェナリナーサ」ではなく「夢のフェナリナーサ」だったらファンになったのだろうか。モモには光と影がある。今(2018)のアニメはなるべく影の部分を出さないようになっている。だから深さがない。深さを求めていない世の中なのだ。どちらが正しいとかない。飽くまでミンキーモモは首藤剛志の創作ではある。ただ、一方でキャラを作ったのは首藤剛志ではないのだ。物語とキャラがマッチしてないとも言える。「またミンキーモモとすれ違いたい」と言いながら他界した。だが、それでよかった。私は氏がどんな三代目を描くか想像できるからだ。三部作で皆が幸せになるような作品にはしない。

人は頂点に立つと落ちるのは早い。渡辺ひろしは90年代にはもう絵が描けなくなっていた。彼の頂点は1986年ぐらいだった。海モモの時には別人の絵になっている。芦田豊雄も社長業が忙しくなって最後まで何もしなかった。

2004年に出たパチンコ「CRミンキーモモ」は衝撃だった。トレスさえすれば昔どおりのモモがまだ作れるという証明だった。ホールに並ぶ宣伝の旗は昔のモモに近かった。「やる気さえあれば」か。アニメなると途端に「新しい時代のモモを描く」っていう余計な動きがあるから困る。

30周年プロジェクトも愚劣なミュージカル企画によって潰された。情けない。あれがミンキーモモの最後のチャンスだった。新しいミンキーモモは誰かが作るだろう。既に数年前に漫画で新作はあった。これからもミンキーモモという名前に引きずられていく自分が見える。そこに喜びはあるのだろうか……。

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