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2018年3月21日 (水)

激辛スーパーミンキーブック3

2  代  め  編

 私は絶対12年経ったら続編が作られるものと信じていた。モモが再び12才になるからだ。しかし、予想に反して8年で新シリーズが始まってしまった。てっきりリメイクだと思っていたら一応続編的な流れを持つものだった。1回目にフェナリナーサの王様と王妃様が出てきた時、懐かしさと「また新しいモモの活躍が見れる!」という期待で私の胸は高鳴った。にもかかわらず、新シリーズは見事に私の期待を裏切ってくれたのである。

  この番組は一体どういう人向けに作られているんだろうか。まず、そこが分からない。当然少女向けだと考えるのが妥当だろう。とはいうもののこの作品のどこに少女物的な要素があったのだろうか?おしゃれじゃない。男の子に興味を持たない。本来この2つの要素が少女物の基本の筈だ。

 優しいわけでもないし色気などあるわけもない。怒ることはよくあっても泣くことはほとんどない。何か行き詰まると「なるよになるダバ、ないダバサ」と言って逃げてしまう。戦わないで状況に流されてばっかりだ。これが2代目のミンキーモモ。今風の女の子にしたということだ。でも、間違っている。女の子が12才にもなれば色気づいてくるものだ。中には12才ぐらいでイケイケギャルになっている子もいる。2代目のモモの性格の軽さは今の女の子のとは違う物だろう。彼女達が興味を持っていそうなことにモモは興味を持っていない。今風の女の子にするならどうしてもっとおしゃれにしなかったのか。どうして1回も恋愛物がなかったのか(ドラマCDを除く)。少年向けの番組でも最近は恋愛物を扱う。女の子はいつの時代も王子様を夢見ている。可愛くなりたい、きれいになりたいと思っている、そうではないか?少女向けにするならある程度この事は認識していなければならない。

 林原めぐみのかすれた声ととみながまりの色気を切り捨てたモモに一体どういう魅力があるのだろうか?異世界からやって来たエイリアン、これが2代目のミンキーモモの正体だ。CDにしても『いつか王子様が・・・ 』は女の子向けのロマンチックなラブソングがいっぱいあったが、『ダバダバダ』はBGMばっかりだし、『歌うフェアリーテール!』では遊びが多すぎて余りロマンチックではない。毎回のストーリーも幻想の色が濃くなりすぎたりしてロマンチックさが感じられない。結論、今回のミンキーモモは基本的な女の子向けの要素がない。

 今回は脚本家の育成とかが目的だったそうだが、モモを無目的に地上に出してしまっては話が書きにくいに決まっている。それを新人に書かせるなんてちょっと酷だ。前回の『ミンキーモモ』にはストーリーのパターンがあった。始めに困っているゲストを設定してモモが何らかの形で関わっていく。モモがプロフェッショナルに変身して問題を解決してペンダントが光る。終。それだけでいいのだ。このパターンさえ分かっていれば素人でもストーリーが書ける。

 勿論、ペンダントを光らせないとか、普通の女の子に変身させて恋をさせるとかいくらでも応用が利く。それは基本枠がしっかりしているからだ。今回あの首藤剛志でもあまり面白いストーリーが書けなかったのは余りにもフォーマットをフリーにしすぎたからに違いない。漠然と自由に書けと言われても恐らく新人の脚本家はどうやって書いたらいいのか分からず苦しんだろう。ある程度枠を決めて創造力を掻き立ててやるのが先輩脚本家の役目ではなかったかという気がする。

 毎回、どたばたと騒ぎまくって終るミンキーモモに「夢と希望」という重いテーマをしょえる筈がない。にもかかわらず、最終回近くになるとキャラクターに無理な負荷をかけてでも語らせる。『ミンキーモモ』だからといって「夢と希望」に固執したりする必要はなかった筈だ。「夢と希望」に気を取られすぎて普通に番組を作ることができなかったように見える。前作のように段々キャラクターが成長していくならともかく、今回のモモは成長していない。毎回夢や希望を誰かに与えるというより幻想の世界を守るという消極的な今回のモモ、王冠に宝石をはめる必要もないので特にいいことをする努力もしないから人間的に成長しないのは当たり前だ。「なるようになるダバ、ないダバ」で逃げている者がこの重いテーマに耐えられるわけはない。

 結果的にはキャラクターに歪みや不自然さを醸し出すことになってしまった。そもそも、あの利己的で軽い性格は斬新ではあるものの主人公にはふさわしくないように感じた。そして新モモの活躍できる世界、対抗できるキャラが創れないと、初代モモを出して昔の栄光に頼ってしまう。

 結論、これでいい作品が作れるわけがない。まあ『鉄人28号FX』みたいに昔の主人公をオヤジにしてしまうという冒涜的なことまでやらなかったからまだいいほうなのか・・?しかし、ある意味では初代モモが魔法を全く信じていないと表現してしまったのはやはり前作に対する冒涜だと言える。本当に「夢と希望」を持ってほしいと思ってこの作品は作られているのか私は非常に疑問に思う。

  作画的には前よりも人間的な匂いは消えたものの一段と毎回整った絵が毎回見られた。可愛らしさと引き換えで前には見られなかったデフォルメの表情などは面白かった。さっきも書いたが、12才のモモの衣装はもっとバリエーションがあってもよかった。演出は特に変な所もなし凝った所もなし、まずまずだった。女の子向けでなく、目的やパターンも無く、キャラクターも成長していないのに重いテーマを背負わせる。途中からペンダントを光らせるようにしたり変身しないで12才のモモを中心にしたりしていたが、既に手遅れ状態である。せっかくの魔法のアイテムも(グルメポッポさえも)ほとんど使わずじまいで勿体ない。第2シーズンのオープニングではマニキュアまで塗っているんだから本編でももっとおしゃれにすれば後半それこそ「今風の女の子」で挽回できたのに・・・・。

  初期構想では前のミンキーモモが伝説となったマリンナーサで再び地上の人々に夢と希望を持ってもらうために一人の少女がやってくることになっていて、その少女は伝説にちなんでミンキーモモと名乗るようになるとのことだ。自分の子供を名無しのゴンベエにしておくよりずっと自然なシチュエーションだ。さらに何個かの宝石を光らせればマリンナーサは戻ってこれる。『ミンキーモモ』らしい良い設定だと思う。

 またキャラクターデザインもイアリングがおしゃれで可愛いモモちゃんだった。魔法のアイテムもどこにでも行けるスケボーや送られてくる物が実体化する不思議なFAXと面白そうである。どこにもこの初期構想に悪い点は無い。なのに何故ことごとく没になったのか。答えは簡単、前のモモと違いすぎるからである。結局表面的にはリメイクっぽくなってしまった。あまり変えすぎると『ミンキーモモ』というイメージを失う恐れがあるからだ。それだけ前の『ミンキーモモ』の知名度が欲しかったのだろう。最悪なのはリメイクでも無く、完全な続編でも無く、しかも前のモモを知らないとちゃんと楽しめない・・・・という中途半端な作品になってしまったことだ。

 主人公のちょっと見は確かに前のモモにそっくりだが、前作の面白かった3要素+1(『果たしてミンキーモモとは・・・ 』を参照)を完全に欠いており、全く異質であり、異次元の『ミンキーモモ』になり果てた。同じスタッフによるマンネリ化かもしれない。何が原因なのかははっきり分からないが少なくても一つははっきりしている。『ミンキーモモ』’82を大切に思っていない。

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