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2014年12月23日 (火)

もう一度、ミンキーモモ最終回

ケーブルテレビで放送していた「魔法のプリンセス・ミンキーモモ」(1982)の最終回(46話)を見終わった。30周年の時も全話見てるので見飽きた感も流石に(笑)。あの衝撃の最終回から32年経った。

王妃「あなたが夢を与える事ができたならフェナリナーサは地球に戻れるのです」
モモ「無理だわ、そんなの」
モモ「夢は自分が持つもの。誰かからもらうものでも、あげるものでもないわ」
そんな会話だ。
子供に夢を与える。
誰かに夢を与える。
それって?芸術でスポーツで慈善事業で介護でーー?
夢を持つ事は生きる気力になるかもしれないし、目標になるかもしれない。しかし、叶えられるとは限らない。その時、大きな夢は重荷になってくる。だから夢は身近で小さいものに変わっていく。叶えられなかった人達は若い人達に自分の夢を託し、応援する。この歳になって、中年になって。それが出来ない時。夢が自己憐憫という形になって戻ってくる。逆流してくる。それを実感している。
モモは死ぬ。その前に何回かフェナリナーサへ里帰りしている。そして、それが両親との最後の抱擁になるとも知らずに。それを意識しながら見る。地上のパパやママも、まさかハルカナシティへのお使いをさせた事が結果的にモモの命を奪うなんて知らない。不幸というのは連鎖だ。一度だけなら仕方ないと思える。しかし続いてくると耐えきれなくなる。それでも「まっ、いっか」と言えるのか。
原作者の脚本家・首藤先生も亡くなって久しい。首藤先生にとって夢とは何だったのか。描きたかった世界…とは。
「本当の私の、本当の夢」
インタビューでは建前ばかりで本音を吐露することなかった首藤剛志。ブログにおいても本音であったかどうか怪しい。そして、何で病気になったのか…。何がそんなに苦しかったのか。モモのテレビシリーズが終わってから首藤先生は変になってしまった。隠れていた歪みが表面に出て来たのか。そういう意味でも最終話「夢のフェナリナーサ」は首藤先生にとっても1つの到達点だったかもしれない。
あれから32年。まだ、しつこく生きている自分。そしてミンキーモモを見続けている自分。感動とは違う感想。可愛いとか、面白いとか、そんな簡単じゃない。自分を構成する一つの要素がミンキーモモになっている。
そして。
まだフェナリナーサは降りて来ていない。

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